トルコ旅行

2024年4月7日~4月14日

 

3月で書写教室の仕事も終わり、念願のトルコへ。

初めての国でもあり、クラブツーリズムの添乗員さん同行のツアー。下の娘が一緒に行きたいというので、今回は2人で参加。

フリータイムなしのツアーは、20代前半にヨーロッパ4カ国周遊以来だが、効率よく、いろいろなところを見て回れて、現地ガイドさんもずっと同じ方だったので、安心な旅を楽しむことができた。

トルコと言えば、十数年前に都美術館で見た「トプカプ宮殿の至宝展」で金や宝石の使い方の半端なさに度肝を抜かれてオスマン帝国に何となく興味を持ち、数年前にBSで放送されたトルコのドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム」で帝国のパワーに圧倒され、当時のヨーロッパ諸国との力関係なども何となく理解でき、その後、新書などを読んで、どうしても文明の十字路とも言えるイスタンブールの空気を吸いたくなったのが、この旅のきっかけ。

なので、イスタンブールにはとても興味があるものの、他地域は行かなくてもいいかなとも思ったが、年齢的に、もう一度、トルコに行くこともないかもしれないと思い、有名なカッパドキアも巡るツアーを選んだ。

旅程は、成田→イスタンブール乗継イズミール→パムッカレ→カッパドキアイスタンブールの順で、イスタンブール観光は最後だったのだが、正直、他の地域も回ってよかった。イズミールのエフェソス遺跡、パムッカレの石灰棚、カッパドキア雄大な眺め、どれもこの目で見なければ分からなかった。そして十分にトルコの自然や文化が体に充満している状態でイスタンブールに来たことで、むしろ、冷静な目で見ることができたように思う。

 

<スケールの違い>

国土は日本の倍ほどあり、高い山は東方にはあるようだが、私たちが巡った西側半分はどこまでもなだらなか丘が続いていた。食料の自給率が100%とガイドさんが言っていたが、集落と畑は場所を分けているようで、バスで移動する間、両側には畑しかない。緯度としては日本と変わらないので、これから種を蒔くために耕運機でならされたような場所もたくさんあり、豊かさを感じずにはいられない。

 

<動物との近さ>

最初の観光地、エフェソスで、猫がまるでポーズを取るかのようにいい場所に座っていた。ここだけかと思ったら、トルコのどこにいっても、猫がいた。あまり汚くないので、おそらく、地域で飼われているのだろうか。

そして犬。日本で見るような中・小型犬ではない。かなり大きな犬が、鎖にもつながれず、その辺に横になって寝ているのだ。「落ちている」という表現があるが、まさにそれ。最初はちょっと怖かったが、あちらが人間には全く興味を示さないのと、あまりにもどこにでもいるので、最後は慣れてきた。人通りの多いところに平気で落ちているのだが、踏まれたりしないのだろうか…

それから羊もあちこちに。さすがにイスタンブールでは見なかったが、少し、田園風景のところだと、囲われてもいなさそうな羊がちょいちょい見受けられた。わんこに守られてるっぽいのもいたし、お馬さんも一緒にいたりしたが、牛は見なかった。

 

<食べ物の美味しさ>

実はトルコ料理を食べたことがなく、口に合わなかったときのために日本からお菓子を持って行ったのだが、そんなものを食べている余裕はなかった。食材が似ていて、味付けも濃くなくて、親しみやすい。例えば、毎食のように出てきた生野菜サラダは、キュウリ、キャベツ、レタス、人参の千切りで、多少、味はついているときもあるが、自分でオリーブオイルを足したり塩胡椒をかけて味を調えて食べる感じ。豚肉はないはずなのだが、ハムもソーセージもある(多分、鶏や羊)。味付けはトマトベースが多くて、イタリア料理に通ずるところもある(地中海だから当然か)。朝食には必ずゆで卵があるし、一番、すごいと思ったのは果物の多さ。生絞りのザクロジュースが500円くらいで飲める。その場で絞ってくれるから、添加物ゼロ、砂糖もゼロ。サラダにリンゴが入ってるときもあった。お菓子もたくさん種類があって、基本的にかなり甘いけれど、素直な味付けが多いように感じた。好き嫌いはあるかもしれないが、不味いと思ったものは一つもなかった。

 

<説明書きの少なさ>

不便だなと思ったのは、説明が少ないこと。例えばトイレの水を流すボタン。多分、これだなとは思ったが、日本なら「流す」とか「FLASH]とか書いてあることが多い。だから成田に戻ってきて、空港で「こちらですよ」と案内する人がたくさんいて、トイレにはお礼の言葉まで貼ってあって、ああ、日本だと実感した。あと、便器の横に水道栓みたいなのがあったので回してみたらビデの栓だったらしく、便器についてるボタンみたいなところから水が飛び出してきて、その辺を水浸しにしてしまった。これは「ビデです」って書いておいてよ~

トイレで思い出したが、観光地などにはトルコ式のトイレもあって、和式トイレを使ったことのある日本人なら抵抗がない形。それから紙を流していいとか、いけないとか、その辺がよく分からないと、いつもの癖で、だいぶ流してしまった。詰まってたらごめんなさい。

 

以下、日程順に

 

4月7日(日)

<出発>

8時5分に成田第1ターミナル集合だったので、5時15分に自宅を出発。出ようとしたら雨が降っていて、大慌てでスーツケースにビニールをかけたりして徒歩で最寄り駅へ。無事に成田到着。予約していたWiFiをレンタル。

飛行機の中では映画「A.I.」を見たり、パズルをしたり。

出発が少し遅れたせいで、イスタンブールの乗り継ぎが1本、あとに。その間に両替などもすませて、10時過ぎにイズミールのホテルに到着。

イスタンブールの空港でみかけた、なんか、かわいいやつ

 

4月8日(月)

<エフェソス遺跡>

バスでホテルを出発し、エフェソスへ。あんなにトルコへ行きたいと思っていたくせに、ギリシャとの位置関係なども把握しておらず、こんなすごい遺跡が残っていることに驚いた。お店、図書館、劇場、水道管の残骸などを見ながら歩きにくい石畳を下っていくと、当時の人もつまずいたりしたのかななどと、勝手に思いを共感した。

劇場は2万人も入ったらしく、横浜アリーナよりも大きいことにも驚く。すり鉢状で舞台を見下ろすことができるから、きっと人の頭の間からでもよく見えたことだろう。

さらに驚いたのは、ここが聖母マリアの晩年の居住地だったらしいということ。え、エルサレムから女性が移動できる距離?と思ってって帰ってから調べたら、1000キロぐらい。東京から鹿児島。船ならいけない距離ではないけど、トルコって、オスマン帝国だけではないのだと認識させられた。

港へと続いていく街の遺跡

 

エフェソスで遺跡に入る前に、最初の犬との遭遇。遺跡に入っていくと、今度は猫。ローマ時代の折れた柱の上に、まるで写真を撮ってくれと言わんばかりに座っていた。

落ちてる犬

花の下の猫

 

<パムッカレ>

昼食後、バスでパムッカレへ。バスを降りて山側の遺跡の建物を遠目に見ながら進むと、眼下に石灰棚が広がっていた。丘の下まで石灰棚がずっと続いている。

ここでは靴を脱いで中に入れるのだが、自然のものなので、とてもごつごつしている。同行者は痛い痛いと大騒ぎ。しかも、人があまり踏まないところはぬめりもあったりして、転ばないように痛みと戦いながら進むのだが、棚によっては温かい水がたまっていて、だんだんと気持ち良くなってくる。戻って靴を履いたら、なんだか足が軽い!そう、温浴とツボ押し効果で、靴がぶかぶかなほど、むくみが解消されていた。

ごつごつした石の様子が見えるでしょうか

<ホテル(パムッカレ)>

ホテルに着いて鍵を開けようと思ったら、引っ掛かって開かない。通りがかりの従業員の方に開けてもらうが、開けにくいよねという感じで、鍵を交換してもらうことに。その後、トイレを使ったら、今度は水が止まらない。こちらは夕食中に修理してもらったが、こんなトラブルでも慌てないトルコの気風。

 

 

4月9日(火)

<バス移動の日>

この日はカッバドキアへ移動。途中、コンヤで昼食とメブラーナ博物館の見学をしたが、あとはひたすらバス。でも、トイレ休憩の時にお土産屋さんを覗いて買い物したりして気分も変わって、思ったほど疲れなかった。

 

<メブラーナ博物館>

博物館というから東京国立博物館みたいなものを想像していたが、ルーム・セルジューク朝の王の霊廟という神聖な場所。ムハンマドのひげがあるというので、現地の方や信者の方がたくさん並んでいて、異教の私たちは邪魔をしないように、ちらっと後ろからのぞかせてもらった。チューリップダンスの地でもあるらしい。

 

<ケルバンサライ

ルーム・セルジューク朝時代の隊商宿のあと。宿の正面にあるお土産屋さんのトイレをお借りした。宿というよりは城塞。盗賊が後を絶たなかったらしく、宿は分厚い壁で客を守ったそうだ。時間がなくて中には入らなかったが、外観を見ただけでも、当時の商人たちの活発な行き来がうかがえた。

ケルバンサライの前で。ここにも犬が落ちてる

 

<ホテル(カッパドキア)>

カッパドキアは夕方到着で、途中、奇岩を眺めながらホテルへ直行。驚くほど狭い道の奥にある、立派な洞窟ホテル。これも下調べをしていかなかったので、「洞窟」という言葉だけでもっと狭いものを想像していたら、3部屋もあるご立派な部屋。まず、入り口がガラス扉でおしゃれ。入るとすぐにソファがおいてあるリビングみたいなのがあって、次に広大なベッドルーム。その奥のバスルームはうちのリビングより広くて、ジャクジー付きの巨大な浴槽。浴槽にお湯をためて娘と2人で入浴。大きすぎて、油断すると沈みそう(笑)。

洞窟だから部屋の床も壁も石なのだが、床暖房が入っているのか、ほんわか温かい。そして、テーブルなどに砂のような小さな石のかけら。天井から降ってくるのか、これも一興。2連泊

左側のガラス扉が私たちの部屋の入口

ベッドルーム

 

4月10日(水)

<絨毯屋>

パックツアーにありがちな、絶対に連れていかれるお土産屋さんシリーズと思っていたが、実際に絨毯を織っているところや、素材の説明、商品の説明が面白くて、トルコ絨毯の魅力に気付かされた。そして娘は小さな羊毛の絨毯を買った。茶色い羊と白い羊の毛で織られた、シンプルだけどパムッカレでしか買えない逸品。

 

カッパドキアへ>

絨毯屋のあとはカッパドキアへ移動。

 

<奇岩群>

よく写真で見るような奇岩は1か所なのかと思っていたら、この地域にはその辺じゅうに石の塔のような奇岩がある。そんな奇岩の有名なものをいくつか見学。

それから岩を掘って作った地下都市を見学。掘りやすい材質とはいえ、どこまでも続いていく地下都市は、かつてローマ兵からの迫害を避けるためにキリスト教徒が隠れ住んでいたということで、生活感があふれていた。

ここで飲んだ、お兄さんがその場でしぼってくれるザクロジュースが美味しかった!

手で生のザクロを絞ってくれた。美味しかった、ありがとう!

バスで移動するときに、岩壁にドアや窓が連なる街のようなところもあって、今も人が住んでいるようだ。来る前は洞窟に住むなんて…と思っていたが、ホテルの快適さを思うと、この気候であれば住みやすいのかもしれない。そしてこの気候だから(雨が少ないから)、あの奇岩が形を保てるのかもしれない。

 

<昼食>

この日の昼食は忘れられない。もうパフォーマンスだった。

洞窟の中にあるそのレストランは、かつては教会だったのか学校だったのか、長い廊下を抜けた先にあるホールは八角形で、その一面ずつにせり上がっていく座席のある階段教室のような作りだった。それだけでも珍しかったのに、配膳がすごい。例えばスープ。大きな鍋を抱えた従業員が、一人ずつに柄杓で配っていくのだ。しかも、若い女の子が。その後の料理も、何枚もお皿が乗っている大きなトレイを片手で肩にかついで、階段を上って一人ずつに手渡す。体育会系のきびきびした筋肉のひきしまった女の子たちに圧されて、食欲が少し減退したのは申し訳なかった。味は悪くなかった。

階段教室の様子が分かるだろうか

<ギョレメ野外博物館>

かつてのキリスト教修道院だったところ。岩を彫りぬいて作った建物というか、部屋がたくさん。自由見学中、突然の雨。食堂らしき部屋の中で、他の観光客と一緒に雨宿り。おかげで見られなかったところはあったが、あんなふうに突然降りだす雨もまた、トルコらしかった。15分ほどで小降りになったところをダッシュでバスへ。

 

トルコ石のお店>

最後はトルコ石屋。こちらでは私が指輪を購入。もともと、自分用に欲しいなと思っていたので、まあまあ値段の折り合いのつくものがあったので、記念に。

 

4月11日(木)

カッパドキアイスタンブール

5時くらいに起きて、こんなに早いのにレストランは朝食を出してくれて、まだ世が明けきらない洞窟ホテルの全貌も美しい。

 

ネヴシェヒルという小さな空港から空路、イスタンブールへ。バスで市街へ。

 

イスタンブール

・バラット地区 古い商店街で、今、やっているスマホのジグソーパズルゲームの題材になりそうな映える風景の街。

絵みたいな街

・昼食 橋の下にある川面に面したレストランで名物、さばサンド。とても美味しくて、「塩サバとパンって合う。今度、白米と食べるのに飽きたらやってみよう」と思えるレベルだったのだが、川からの風が寒いのなんの。そのあと、日の当たる街中を歩いていたら、今度は暑いのなんの。地中海性気候を実感。橋の上には釣り人がたくさんいて、昼食を食べたレストランからはその釣り糸に釣られていく小さな魚をたくさん見た。どうやら、あの魚たちはそのレストランでも供されるしい。

・リュシュテムパシャモスク そのあとに見たモスクと記憶が混じってしまっているのだが、リュシュテムパシャはヒュッレムの娘、ミマールと結婚した年上のやり手の宰相だったなあと、ここでもドラマの知識のお陰で親しみを持って見学することができた。

スレイマニエモスク モスクとともに、スレイマン1世とヒュッレム妃の墓所もある。ドラマのおかげで、名前を見るとなんだか知っている人のような気がして、会いに来たよぉという気持ち。ドラマは史実でない部分もあるのだろうが、素人にここまで共感を抱かせてくれたのはすごい。

ヒュッレムの名前

ボスポラス海峡クルーズ 隣を走る大型船、川岸にたたずむ高級住宅、砦のあと、宮殿のあと等々、歴史の深さを感じさせる。ボスポラス海峡を3分の1ぐらいまでのところまで行って引き返し。

・オルタキョイ 船を降りたところはオルタキョイの広場。この日はラマダン後の祝日で、現地の方もたくさん集まっていて、路上で音楽を奏でていたり、それを聴く人、船に乗るために並ぶ人、そして、こんな人混みでも寝ている犬。オルタキョイモスクも見学。

・夕食 かつてのオリエント・エクスプレスの終着駅のレストランで。今は駅としての機能はないようだが、駅舎がレストランになっていて、ホームでは写真を撮ってノスタルジーに浸る。

出発の鐘を鳴らす



<ホテル(イスタンブール)>

マルマラ湾の見えるホテル。2連泊。

 

4月12日(金)

イスタンブール

この日はブルーモスク、アヤソフィアを見学。昨日に引き続きトルコは祝日で、しかもトルコ国民は施設の入場料が無料らしく、とにかくすごい人。ガイドさんが工夫してくれて、あまり待ち時間がなく回れたが、個人だったら1日に1カ所しか行けなかったかもしれない。また、本来はバスで近くまで行く予定が、道が渋滞していて歩いたほうが早いというので徒歩で移動したり、トイレに行ったらあまりにも並んでいてあきらめたりと、ちょっと普段とは違う体験もできたようだ。

・革製品のお店 まだ朝の8時台というのに、商品の皮ジャケットをまとった男女のモデルさんが登場。どこまでも、ただ、買わせるのではなく、まずは楽しんでというのがトルコ流か。そしてここで、最前列で見ていた娘が壇上に引っ張り出された。出て来た彼女はど派手ピンクのBerbyの文字が背中に刺繍された丈の短い革ジャンで登場。なかなか似合ってた! そして私は緊張のあまり写真を取り損ねて、同行者の方たちに助けていただいた…

私が何とか撮れた写真

・ブルーモスク モザイクが素晴らしい。でも、ここに至るまでのトルコのすごさに体も目も慣れてしまって、すごいけど当然みたいな気持ちになってしまっている自分もいた。祈祷する人がたくさんいる中で、観光客にも見学させてくれてありがたい。日本でもそうだが、生きている宗教施設は訴えてくるものが大きい。信仰の力か…

お茶をしたカフェの屋上からのブルーモスク

 

トプカプ宮殿 念願のトプカプ宮殿。ドラマで見たよりも、ずっと広々としていて明るい。スレイマンが賓客に謁見した巨大な椅子(3Lキングサイズのベッドぐらいの大きさ)や、寝室(ここで女性と…)などに気を奪われて、チューリップのモザイクを見なかったことに帰国後、気が付いた。それぐらい、何もかもがすごい。台所もドラマで見ていたのとは大違いの広さで、え、この建物が全部、台所なの?という巨大さだった。それだけ、たくさんの人がここにいたんだなあ。

見なかったけど、写真には写っていたチューリップ

アヤソフィア こちらはコンスタンティノープルと呼ばれていた時代のキリスト教の教会。オスマン帝国に制圧されてから昔のモザイクを漆喰で塗りつぶしたそうだが、今は一部、その漆喰をはがして昔のモザイクを見ることができる。本当にいろいろな人たち、文化がぶつかり合っているんだなあ。

 

ベリーダンスショー>

夕食はショーを見ながら。想像していたベリーダンスはもっと激しいイメージだったが、特に女性が一人で踊るのは、ハーレムでこんなふうに女性たちが踊ったのかなあというような官能的なものだった。ここでも観客を巻き込んで踊るシーンがあり、楽しませるのが好きなんだなあ。

こんな感じ…

4月13日(土)

イスタンブール

朝からエジプシャンバザールとグランドバザールへ。朝、まだお店も開いたばかりらしく、掃除中のお店もあって、あんなふうにバシャバシャと水をかけて床を洗うから、あまり汚れていないのかあと思う。どちらもバザールもとにかく大きい。グランドバザールでは本気で迷子になりそうだった。買い物をしたお店で集合場所のGate1を教えてもらって、なんとか脱出。ゆっくり見たら面白そうだなあ。

トルコの市街でよく見かけた路面電車

<出国 イスタンブール空港>

ついに帰国の時。早めにイスタンブール空港に入り、手続きをすべて終わらせ、昼食は各自。マクドナルドで食べようと思ったらセットが3000円と聞いてびびり、ピザで済ませた。ツアーだったので食事代は自分で払っていないが、個人で食べると、すごく高かったのだろうか。

 

4月14日(日)

<帰国>

行きは13時間だが、帰りは偏西風の影響で11時間。体も慣れていたのか、また、3人席を2人で使えたからか、行きほどの疲れもなく無事に成田に到着。

午前中に成田を出ることができたので、ジムに寄って足の疲れを取り、帰宅。

成田ではマリオたちが出迎えてくれた

<最後に>

とにかく、楽しかった。トルコは親日国とは聞いていても、実際にトルコの文化に触れる機会はほとんどなく、イスラム教の国がどんななのかも分からなくて、食事なども不安があったが、行ってみたらとても居心地の良い国だった。トラブルもなく、ただただ現地を楽しめたのは、添乗員さんとガイドさんのおかげでもある。感謝。

もしもし2度目があるならば、イスタンブールに滞在して、一つ一つをゆっくり見て回り、周辺観光をしたり、新地区と言われるところにも行ってみたいと思う。